松田修 「不適者生存」"Survival of the Unfittest"


会期:2018720日(金)- 819日(日)
営業:会期中の金・土・日曜日 13:00 – 18:00
場所:オルタナティブスペース コア(広島市中区基町19-2-448 基町ショッピングセンター内)
アーティストトーク:7月20日(金)19:00 - ゲスト 櫛野展正(クシノテラス主宰)






オルタナティブスペース・コアでは、松田修による新作個展「不適者生存」展を開催いたします。

「愉快に暮らすことが最高の復讐である」
George Herbert Outlandish Proverbs 524, 1640


松田は社会的なモチーフを映像や立体など様々なメディアを用いた表現で扱い、「生」と「死」や「自己」と「他者」といった普遍的なテーマを追求しています。
このたびの「不適者生存」展は、イギリスの社会学者ハーバート・スペンサーが1864年に著書『生物学の原理(Principles of Biology)』で提示した「適者生存」の思想を批判的に参照しています。チャールズ・ダーウィンが「生存競争」を論じた1859年の著書『種の起源』に刺激されたスペンサーの「適者生存」の概念は、後にダーウィン自身の進化論にも取り入れられ、さらには社会ダーウィニズムとも呼ばれる「弱肉強食」の社会理論による福祉削減の正当化や、過激なものではナチスなどの独裁国家の優生思想や人種差別にまで繋がっていきます。その影響は、今まさに世界中で生じている民衆の右傾化とネオリベラリズムの蔓延や、日本における「自己責任」論の流行にも見られるように、グローバル化以降の近代制度の混乱と中流階級の崩壊を背景として新たに勢力を強めています。そして、弱者に責任を押し付ける社会において、死はもはや弔われるものではなく、咎められ、蔑まれるものになっています。

新作を中心とした松田の「不適者生存」展は、こうした容赦のない生存競争の場となりつつある現代社会において「適者とは何か」「生存とは何か」という根本的な問いを投げかるものといえるでしょう。

男性器でキャッチボールをする新作映像「さよなら シンドローム」は、生き残るために男性性を要求する社会の中で自らそれを放棄しようとする「不適者」の姿を仄めかすとともに、近代社会における男性性に潜む根深いジェンダー・トラブルをも寓意しています。生物的な繁殖という種としての「生存」のシンボルである男性器は、持て余され投げつけ合われながらも、あやうげな共同作業によって捨てられずに宙づりにされることで、現代社会における男性性の両義的なありようを示唆しています。また、展示テーマに基づいて新たに制作されたオブジェ「Box with the Space of its own X-rating」は、ロバート・モリスの「Box with the Sound of its own Making」を倒錯的に引用しつつ、アダルトDVDのパッケージを裏返して折った白箱の内側で成年向けポルノが再生される閉ざされた空間を通じて、性の商品化と日常化に潜んでいる深い断絶を暗示します。

松田の作品は、過酷な社会変化を前にして無関心な権威への抵抗を演じるのではなく、その冷徹な世界を豊かに生き抜くための新たなビジョンと価値観を力強く示しています。日本では、かつて一億総中流が夢見られていた時代の「適者」のライフモデルが崩壊し、それに代わるビジョンと価値観を築けないまま、世代を問わず多くの人々が「不適者」の立場に追い込まれています。出自や経歴や収入などで人間という種を社会的人種へと分類し、絶えず適性をテストし、わずかな失敗も許さず、自己責任の名において歴史的・制度的な格差を個人に押し付ける今日のネオリベラリズムは、まさしく厳しい「適者生存」の場となっています。そこで「適者」からドロップアウトし「不適者」になることは、自ら命を断つような不幸な決断や社会からの積極的な撤退にも見られるように、生物的・社会的な「生存」そのものの否定に直結しています。
展示のタイトルでありテーマでもある「不適者生存」という言葉は、このような社会から暗に死を迫られている「不適者」たちが生き残るための場を示しています。現代社会に生存を許された「適者」の条件は、突き詰めれば従順で迷いを持たない機械的な労働者としての適性にすぎません。しかし、現代人が生きるために命を懸けた労働者としての適性は、人工知能などの技術的発展により瞬く間に失われてしまうかもしれません。また、産業AIのような機械的な合理主義が下す「適者」についての正論は、合理性に反する矛盾の塊である人間をすべて「不適者」として断罪することもあるでしょう。今後、ますます多くの人が人間らしくあるだけで「不適者」の烙印を押されるであろう社会状況において、松田は「適者」が切り落としてきたものを見つめなおし、それらを新たな価値観とともに肯定します。それは、「適者」を目指すのでも「不適者」として自らを殺すのでもなく、あくまで「不適者」としてしぶとく「生存」することで、決して揺るがない抵抗の足場を築く試みでもあります。

どのような未来や訪れ、どのような社会問題が起き、どのような規範や権威が押し付けられてこようとも、愉快に暮らすことだけが人間にできる自分たちを脅かすものへの最高の復讐なのです。生存を望まれない「不適者」という現代社会の新しい「死」を見つめ、そこに新たな人間らしい「生」のすがたを見出そうとする松田修の新たな個展にどうぞご来場ください。​



松田 修
1979年生まれ。2009年、東京芸術大学大学院美術研究科を修了。以後、映像や立体、ドローイングなどさまざまなメディアを用いた表現方法で、社会に潜む問題や現象、風俗をモチーフにして「生」や「死」といった普遍的なテーマに取り組んできた。他にも、ひきこもりやニートといった、ときに世間から否定的な眼差しを向けられる存在や、ゲームの中での戦いや死、繰り返し再生されるヴァーチャルな世界での生命観などが、松田の作品の重要なテーマとなっている。近年の活動では、自身の生い立ちや社会問題をコンセプチュアルに作品へ落とし込み、ユーモラスかつ生命力溢れた態度を示した2015年の個展「何も深刻じゃない」がある。また、2017年の個展「みんなほんとはわかってる」では、人がつい参照してしまいがちな、過去に作られたイデオロギーや価値観等から逃れることを、アイロニーを交えて提案した。展覧会以外の活動としては、DVD作品「ガタピシ!」のリリースや劇団ミナモザの劇中オープニングムービー制作、バロセロナで催された The Influencers festival 2014への映像提供などがある。

主な個展
2017 「みんなほんとはわかってる」 無人島プロダクション、東京
2015
「何も深刻じゃない」 Garter、東京
2014
「亡者の行進」 アートスペースゼロワン、大阪
   「パラダイスロスト・パラダイス(パラパラ)」 無人島プロダクション、東京
HP

協力

無人島プロダクション

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